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1777年
1月 前年の『4つの田園舞曲 ヘ長調 K.250a』を K.269b 田園舞曲(ト長調)に編曲
大司教の食卓音楽として K.270 ディヴェルティメント第14番(変ロ長調)を作曲
この頃、フランス人クラヴサン奏者ジュノム嬢がザルツブルクを訪れていたという
ザルツブルクを離れられず悶々としていたモーツァルトの霊感を刺激し
大胆な独創性をもつフランス風の作品
K.271 ピアノ協奏曲第9番(変ホ長調、通称『ジュノム』)を作曲
3月〜4月 謝肉祭のために、他の舞曲を寄せ集め K.271c 4つの田園舞曲を作曲
四旬節用に K.271d 教会ソナタ第13番(ト長調)を作曲
復活祭のために K.271e 教会ソナタ第14番(ハ長調)を作曲
この頃、K.271f 弦楽三重奏曲(変ロ長調)を作曲
自筆譜には『ヴァイオリン2とバス(チェロ)のための三重奏曲』と別人の筆跡で
書かれてあるという
6月13日 モーツァルトの自宅でK.271H ディヴェルティメント第15番(変ロ長調)を試演
これは、ロドロン伯夫人の依頼で作曲したもので『第2ロドロン・セレナード』
とも呼ばれる
6月16日 バリザーニの家で上の曲を演奏
7月25日 資材業者グセッティの家で、モーツァルトが姉のために作ろうとしていた曲
(シンフォニー、ヴァイオリン協奏曲、フルート協奏曲など)が試演された
この夏、ザルツブルクで
K.271k オーボエ協奏曲『フェルレンディス』が作られたが、紛失
これは1778年2月14日付の父への手紙から知られている
8月15日 プラハからザルツブルクを訪問してきていたヨゼファ・ドゥシェク夫人のために作曲した
K.272 レチタティーヴォとアリア
『ああ、私はそれを知っていた。ああ、私の眼の前から去って』をモーツァルトの家で演奏
このとき、ドゥシェク夫人が歌った
9月 1月 就職活動のために大司教に休暇と旅行の申し出をしたところその許しが下りた
それと同時に、レオポルトの解雇が通達された
シーデンホーフェンの日記によると、そのため父レオポルトは病気(重いカタル)に病んだ
大旅行の無事を祈願して、次の3つの教会音楽が作られた
K.272a 聖母マリアのための奉献歌『創造主の御母よ』(ヘ長調)
K.273 聖母マリア祭の昇階誦『天主の御母なる聖マリア』(ヘ長調)
K.272b ミサ曲第13番(変ロ長調)
9月23日 母と二人で就職活動のためザルツブルクを出発
翌日ミュンヘン到着 宮廷への就職はできず
9月26日 父の解雇が取り消された
ミュンヘンで
K.284a ピアノのための前奏曲(ハ長調)を作曲
これはトッカータとカプリチオの2つの部分から成り
テンポや調性の目まぐるしい変化の練習曲
10月11日 アウクスブルク着
旅館『ツーム・ヴァイセン・ラム Zum Weissen Lamm(白羊館)』に泊る
2泊の予定だったが、同伴するのが厳格な父でなく母親だったせいか、
ここに26日まで2週間も滞在する
父の勧めに従ってミュンヘンを立ち父の故郷アウクスブルクへ行く
そこで重要な2人の人物と会う
従姉妹のマリア・アンナ・テークラ(愛称ベーズレ)とクラヴィア職人J.A.シュタイン
10月14日 父への手紙の中でアウクスブルク市長ランゲンマンテル邸を訪問し
シュタインの製作した上等のクラヴィコードを弾いたことを知らせている
シュペートとは南独レーゲンスブルクのピアノ製作者
10月19日 アウクスブルクで、モーツァルトはヴァンハルの『ヴァイオリン協奏曲変ロ長調』を演奏
10月22日 フッガー伯爵邸でシュタイン、デムラー、そしてモーツァルトが3台のピアノのための
協奏曲K.242を演奏した
11月 5日 マンハイムから従姉妹のマリア・アンナ・テークラへ例の語呂合わせ満載の
『ウンコ手紙』を書いた
これを初めとして、有名な『ベーズレ書簡集』が後世できる 同じ日に
父には、マンハイムの宮廷楽団コンサート・マスター、カンナビヒの娘ローザ(当時13歳)
のために K.284b ピアノ・ソナタ第7番(ハ長調)を書いていることを
『ロンドのところまで進みました』と伝えた
その譜面には彼には珍しく、非常に細かい表情記号が書かれてある
彼は機械のような無表情な演奏を嫌った
第2楽章は『ローザ嬢の性格に合わせて』書かれたものという
11月14日 マンハイムから父への手紙で、『3日前からローザ嬢にソナタを教え始めました
アンダンテで一番苦労するでしょう エクスプレッションが沢山あり
味わいとフォルテとピアノをもって、書かれてある通りに弾かなければならないからです』
と書いている
そして、そのソナタ K.309の最初のアレグロがこの日でき上がったことも伝えている
さらに、カンナビヒ宅で大勢の前で『ウンコ』とか『尻舐め』とかの語呂合わせで
ふざけ過ぎてしまったことを反省している
マンハイム・パリ旅行中に書かれた3曲のピアノ・ソナタの一つになる
K.284c ピアノ・ソナタ第9番(ニ長調)を作曲
これは、1774年ミュンヘンを訪れたときフォン・フライジンゲ家の令嬢ヨゼファから依頼を
受けていたが、草稿のままにしていたらしい
マンハイムのフルート奏者J.B.ヴェントリングの娘アウグステのために
K.284d アリエット『鳥よ、年ごとに』(ハ長調)を作曲
フェラン(1678-1719)によるフランス語の詩でアウグステの提供による
11月17日 ザルツブルクから父は、息子が肝心の仕事を忘れて遊びふけっていることを心配し
彼には珍しく自作の詩まで作って息子を皮肉り戒める手紙を書いた
この頃、K.284e フルート協奏曲のオーケストレーションを作曲したらしいが、散失
11月28日か29日 選挙侯カール・テオドール侯令嬢のためにK.284f ピアノのためのロンド
を作曲したが、これも紛失
11月29日 父が自分を誤解し、遊んでばかりいると思われていることに対して弁明の手紙を書いた
12月 3日 マンハイムから父に手紙を送り
『テオドール侯とうまく会見できたが、就職の話は決まらなかった』と書いた
そして『パリへ行けば金と名誉が得られる。カンナビヒや他の者は皆そうしている』
と言われていることについて、父の意見を求めた
その一方で、例のベースレへは次のように書き送っている
12月10日 マンハイムから父への手紙で、『何とか返事を聞こうと、宮廷の発表会へ行ったが
サヴィオーリ伯爵は僕を避けていた』こと、結局はダメだと分かり
まっすぐカンナビヒの家へ行き
『サヴィオーリ伯爵が不採用であることを明言せず、いたずらに期待を持たせていた』
ことを皆に話したと書いた
そこでカンナビヒ家の会計主任グレースは同情してくれ
ローゼ嬢はピアノ・ソナタ K.284bを真剣に弾いて慰めてくれた
モーツァルトは涙を抑えることができず、そしてカンナビヒ家の皆がもらい泣きしたという
翌日は、ヴェンドリング氏のところで食事になり
ドゥ・ジャンが『フルートのための小さな、やさしい、短い協奏曲を3曲と
四重奏を2、3曲作ってくれれば200フローリン差し上げる』と言っていることを聞いた
実際には、フルート四重奏2曲 K.285, 285a, 285b とフルート協奏曲3曲 K.285c,
285d を作って、わずか96フローリンもらっただけだった
12月21日 ザルツブルクで『ミサ曲第13番 変ロ長調 K.272b』が初演
12月25日 マンハイムで、ドゥ・ジャンの依頼によりK.285 フルート四重奏曲第1番(ニ長調)を作曲
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