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1787年
1月 8日 プラハで『フィガロの結婚』が大人気を博す
モーツァルトはコンスタンツェを伴ってウィーンからプラハへ行く
1月11日 プラハ到着 第1回のプラハ旅行
1月15日 プラハからフォン・ジャカンへ
1月19日 交響曲第38番『プラハ』をプラハの国立劇場でモーツァルト自身が指揮して初演
1月22日 モーツァルトは『フィガロ』を指揮
1月30日 ハッツフェルト伯爵の死去
彼は優れたヴァイオリニストだったので、昨年知り合ってすぐ
『イドメネオ』K.366のためのシェーナ(劇唱)『もういいの、私は全てを聞いた』
K.490のヴァイオリン独奏パートを書き、3月13日のアウエルスベルク侯爵邸での
上演に使ったという その後『ハイドン四重奏曲』を演奏した親しい仲だった
2月 6日 プラハ滞在中パハタ邸での舞踏会のために招かれてすぐ作曲を求められ
1時間でK.509 6つのドイツ舞曲を書き上げた
2月 8日 興業師ボンディーニからオペラ『ドン・ジョヴァンニ』の作曲を依頼されプラハを離れた
2月12日 ウィーンへ帰る
プラハで『フィガロの結婚』が大ヒットしていたので招かれてプラハを
訪問したモーツァルトは感激して帰って来たがウィーンは冷たかった
モーツァルトはプラハに1787年から死の1791年まで4回訪れている
彼の死(1791年12月5日)に際し真っ先に盛大な追悼ミサをあげた(12月14日)のは
プラハの人々だった
2月23日 ナンシー・ストレース嬢の告別演奏会
彼女が『汝をいかに忘れえん。恐れるな、愛する人よ』K.505を歌い
モーツァルトがオーケストラと協奏するピアノを弾いた
3月 4日頃 K.509a カノン『親愛なるフライシュテットラー君』(ト長調)を作曲
ガウリマウリとは弟子のフライシュテットラーにつけたあだ名で
ウィーン方言で『馬の顔』という意味
3月11日 K.511 ピアノのためのロンド(イ短調)を作曲し、ホフマイスター社から出版
3月18日『後宮からの逃走』初演でオスミン役だったルドウィヒ・フィッシャーのために
K.512 レチタティーヴォとアリア
『アルカンドロよ、私はそれを打ち明ける。どこから来るのか私は知らない』を作曲
3月23日 フォン・ジャカンのために K.513 アリア『おお、娘よ、お前と別れる今』を作曲
4月 4日 ウィーンからザルツブルクで病床にあった父へ意味深な手紙を書き送った
4月7〜20日 16歳のベートーヴェンがウィーンを訪れた
この間にモーツァルトと出会ったと言われる
4月19日 彼の器楽曲中で最大規模(1149小節)となる K.515 弦楽五重奏曲第2番(ハ長調)を作曲
14年前の第1番K.174の後、突然思い出したかのように
3曲の弦楽五重奏曲K.515、K.516、K.406 を相次いで作り予約販売しようとする
パート譜が18フローリアンという新聞広告が出された
予約者はほとんどなく、モーツァルトは出版を2年後に延ばす広告を出した
K.515は1789年、K.516は1790年、K.406は1792年にアルタリア社から出版されることになる
4月24日 K.515b 二重カノン『ああ、われらが人生は余りに短し』を作曲
5月16日 K.516 弦楽五重奏曲第3番(ト短調)を作曲
K.516b 弦楽五重奏曲第4番(ハ短調)
を作った
これは1782年7月末に作曲されたK.384a セレナーデを編曲したもので
上の2曲と合わせ3曲セットにしようとしたらしい
5月16日以降 K.516f 音楽のさいころ遊びを作曲
5月18日 K.517 歌曲『老婆』(ホ短調)を作曲
主声部と伴奏の通奏低音は完全だが、あとはスケッチ
老婆のくり言を歌う曲の内容に合わせて古い通奏低音歌曲のスタイル
5月20日 K.518 歌曲『秘めごと』(ヘ長調)を作曲
5月23日 K.519 歌曲『別れの歌』(ヘ短調)を作曲
5月26日 ジャカン家の一室で大急ぎで
K.520 歌曲『ルイーゼが不実な恋人の手紙を焼いたとき』(ハ短調)を作曲
女流詩人ガブリエーレ・フォン・バウムベルクの詩
彼女の実際の体験がこの歌のもとになっているという
5月28日 父レオポルト・モーツァルトの死去
墓はザルツブルクの聖セバスティアン教会の墓地にある
ヴォルフガングは父の死の床にかけつけず、また埋葬にも立ち会わなかった
皮肉なことに、コンスタンツェも共に眠っている
5月29日 ジャカンの妹フランチェスカのためにK.521 四手のためのピアノ・ソナタ(ハ長調)を作曲
出版されたときは富豪ナトルプ家のナネッテとバルバラ姉妹に捧げた
6月 4日 むく鳥シュタールが死んだ
モーツァルトは
『知らなければならない、死の味を。彼を思い出すたびに、私の心は血を流す』
と書き記した
6月14日 K.522 音楽の冗談を作曲
表題はモーツァルト自身による
後に作曲家ヒュッテンブレンナーが『村の音楽家の六重奏曲』という呼称を与えた
曲の形態はシンフォニーあるいはディヴェルティメント
平行5度の使用など作曲上の決まりを知らない素人作曲家を皮肉った間違いだらけの音楽
奏者たちは勝手な調子で弾きまくり大混乱のまま収拾もつかず終る
6月24日 2つの歌曲
K.523 『夕べの想い』(ヘ長調)
K.524 『クローエに』(変ホ長調)
を作曲
8月10日 K.525 『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』(ト長調、セレナード第13番)を作曲
自作目録第64番に『8月10日、アイネ・クライネ・ナハトムジーク(小さな夜曲)
アレグロ、メヌエットとトリオ、ロマンス、メヌエットとトリオおよび
フィナーレから成ると記録
初版(1827年頃)のとき5楽章でなく、4楽章になっていた
自筆譜は7葉13ページから成り、作者自身により枚数番号が付けられている
それによると本来8葉のもので、初版のときに第3葉が失われていた
自筆譜は1800年にコンスタンツェからアンドレに買い取られていたが
アンドレの死後行方不明になった
8月24日 最後のピアノとヴァイオリンのためのソナタとなる
K.526 ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第42番(イ長調)を作曲
これは、6月に死んだアーベルへの追悼のためと言われる
終楽章の主題は彼のピアノ・トリオ作品5-5から取られている
9月 3日 親友ジークムント・バリザーニがこの世を去った
彼はザルツブルク大司教侍医の息子
ウィーンで仕事し、ときには友モーツァルトの診察もしていた
兄はレオポルト・モーツァルトの主治医だった
10月23〜28日 ザルツブルクで、父の遺品が競売に付された
それによってモーツァルトは1000フローリンを得た
10月1日 第2回のプラハ旅行へ
このときも妻コンスタンツェを伴う
数日後ダ・ポンテもプラハに到着
プラハの歌劇団の支配人からの依頼で、ダ・ポンテ詞による
K.527 オペラ・ブッファ『ドン・ジョヴァンニ』
(罰せられた放蕩者またはドン・ジョヴァンニ、序曲と2幕24曲)を作曲
初演の2日前になっても序曲を書こうとしないので業を煮やした劇場支配人たちは
ドゥシェク夫人の別荘に歌手たちをつれて行き一騒ぎした後、モーツァルトを音楽室に
閉じ込めてしまったという
序曲は初演の前の晩に書き上げられた
その序曲の最初のアンダンテは、騎士長の石像が来訪する場面から取られ
ドン・ジョヴァンニの宿命を暗示する
この作品を完成させたヴィラ・ベルトラムカというプラハ郊外にある屋敷は
1784年からドゥーシェク夫人の所有となり現在はモーツァルト記念館と
して公開されている
10月29日 プラハで『ドン・ジョヴァンニ』の初演
ウィーンで得られなかった成功をプラハでは与えてくれるというのに
モーツァルトはそこに留まらなかった
その理由を『作曲し内省するためには孤独が必要だった』と説明している
ウィーンに戻ると作曲家グルックが世を去り彼は宮廷音楽家の称号を与えられた
しかし、年俸はグルックの半分にも満たなかった
そして『ドン・ジョヴァンニ』はほとんど上演されず、どん底の生活に追い込まれていった
11月 3日 プラハ滞在中のモーツァルトはドゥーシェク夫人のために
K.528 劇唱とアリア『わが美しき恋人よ、さようなら。とどまって下さい、いとしい人よ』
を作曲
11月 4日 プラハからフォン・ジャカンへ
11月 6日 プラハで2つの歌曲
K.529 『小さなフリードリヒの誕生日』(ヘ長調)
K.530 『夢のすがた』(変ホ長調)
を作曲
K.530は作曲後すぐ友人のジャカンに贈られ『ルイーゼが不実な恋人の手紙を焼いたとき』
K.520とともにジャカンの作品として1791年に出版された
11月13日 プラハ発
11月17日 ウィーン着
12月 7日 宮廷作曲家になる グルックの死で空席となった宮廷作曲家のポストが回ってきた
多くの候補者の中から、ヨーゼフ2世一人の推薦を受け、待望の職にありつく
ただし、前任者の給料2,000フロリンに対して、モーツァルトは800フロリンに過ぎない
宮廷内に彼に反対する者たちの工作があったとされる
後任者となるボヘミア生まれのコゼルフ(Leopold Anton Kozeluch 1752〜1818)のときには
再び2,000フロリンとなった
宮廷作曲家としての仕事は毎年冬期間の舞踏会でのダンス音楽を作ることであった
これから死までの間に5つのメヌエット、10のコントルダンス、9つのドイツ舞曲を作る
12月11日 K.531 歌曲『可愛い糸紡ぎ娘』(ハ長調)を作曲
民謡風のメロディーの前後にピアノが可愛らしい糸車の回転を響かせている
12月27日 長女テレージア誕生(翌年6月に死亡)
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